空に零れた、アイの叫び


1/
がやがやとした教室の音。
飛び交う挨拶。
どこを見ても白いカッターシャツを着た生徒たちが話に華を咲かせている。
昨日会ったばかりなのに、今日も真新しい話題を出して語り合う。
普段通りの朝の風景だった。
季節は身を焦がすような暑い夏。
観測史上最高の気温を叩き出した日から二日経った。
その暑さは衰えることなく頭上から降り注ぐ。
今日も、暑い日になりそうだった。
その中で一人窓の外の景色を見ているのは俺こと、浅葱あさぎ宮人みやと
ちょっと普通の人にないような変な力のある以外はただの平凡な高校二年だ。
その能力の事で困った事もなければ、あまりに使えない能力なので喜んだ事もない。
それが使えるという事は自分以外の誰も知らないし、使えるというより自動的なものだったりするので全く実生活に関係のないものだ。
だから、それはいつからか全く気にする事がなくなっていた。
視線を街並みから蒼一色の空へと向ける。
夏休みも終わり、そろそろみんないつもの生活に慣れてきたところだった。
夏休みに貯まった積もる話が、彼らのおしゃべりに拍車を掛けているのだろう。
雲が右から左へと流れていく。
まるで、一つの生物のような雲。
大きさもばらばらなら形もばらばらだった。
しかし、雲の向かう先だけは一定だった。

「こら、もうチャイムは鳴ってるぞ」

担任が声を上げながら教室に入ってきた。
その一声で教室の音は静まり返る。
だが、話し足りないのかまだあちこちからひそひそと声が聞こえていた。

「夏休み気分が抜けないのは解からんでもないが、いつまでもダラダラしているはよくないぞ」

困った顔をして点呼を取り始めた。
五十音順に淡々と名前が呼ばれ、返事が木霊する。
何もない。
難しい事など一つもない。
これも、いつもと同じ風景。

「熊谷……は、休みだな……」

空席を見て担任がそう呟いた。
ぽつんとそこだけ空いている席。
今日、このクラスの欠席者。
いや、違う。
今日だけじゃない。
昨日も、一昨日も、一昨昨日も。
もう、かれこれ一週間になる。
俺は彼をもう七日も見ていない。

「先生、熊谷君はどうしたんですか?」

長期の欠席理由を疑問に思ったのか、一人の男子が声を上げた。
他のものも自ら質問しなかったものの興味津々な様子で担任を見た。
担任の顔色が少し変化した。
急に覇気がなくなり、まるで全力疾走をした後みたいに静かになった。

「……家庭内の事情だと言う事しか訊いてないな」

そう言う担任の顔は困惑していた。
理由を訊いた生徒も、担任の答えには納得していなかったようだが、家庭内の事情なのでそれ以上は追求しなかった。
彼に他人の家の物事をあれこれ訊くような権限は持っていなかった。
それ以前に、彼は自分で話を止めたのだ。
家庭内の事情を訊くのは一般社会において非常識な行為だからだ。

「……それじゃ、小西」

短い沈黙の後、再び点呼が再開された。
数分も経たないうちに全員の名前が呼ばれる。
結局、空席は彼の席一つだった。
点呼が終わると、今日一日の連絡が伝えられた。

「あー、今日の三限目が防犯訓練になっている。非常ベルが鳴ったら……えーっと、三限は古文だから崎本先生か。ベルが鳴ったら崎本先生の指示に従うように。面倒なのは分かるが、キチンと指示通り動くんだぞ」

今日の連絡はそれだけだった。
学級日誌を当番に渡すと、担任は教室を出ようとした。

「……みんな」

しかし、ニ、三歩歩いたところで担任の足が止まる。
様子が変なので、全員が静かに担任を見た。
一呼吸置いて口を開いた。

「みんなは――人が消える事ってあると思うか?」

教室の人間全員が凍りついた。
まさか、担任の口からそんな言葉が出るとは思ってもみなかったからだ。
誰もがその問いに困惑していると担任は呟くように言葉を吐いた。

「……いや、すまない。忘れてくれ」

そう言って、教室を出ていってしまった。
冗談ではない。
でも、それが意味する事が分からない。

「なぁ、久保田のやつ、何かあったのか?」

ホームルームが終わってすぐに俺の横に立ったのは小学校からの悪友、神谷かみやかえでだ。
ちなみに久保田とは担任の名前だ。

「何かあったんだろうな。じゃなきゃ、あんな冗談言わない人だから」
「もしかして、熊谷の事と関係あるのかな?」
「家出と何か関係あるのか?」
「家出?」

神谷は大袈裟に首を傾げた。

「俺は幽霊屋敷に行ったと聞いたけど?」
「なんだそれ?」

俺は鼻で笑った。
いろいろな噂を聞いてきたが、まさか幽霊屋敷に行って行方不明になったというのは初めて聞いた。

「俺が聞いた話だと熊谷は幽霊屋敷に行ってそれっきり帰ってきてないらしい。そして、そこはなんとテレビで取り上げられるほど凶悪な幽霊がいるらしいんだ」
「へー、それは凄いな」

呆れながら適当に返事をした。

「まぁ、なんにせよ、連絡もなしに長い間休むなんて妙だな」
「そうだな」

別に然程深い絆の友人でもなかったのでその話題はそれで終わった。
次の授業が始まるまで俺は神谷と他愛もない話に花を咲かせた。


窓の開いている廊下にはクラブ活動をしている声と一緒に風が進入してきた。
風のおかげでだいぶ廊下は涼しかった。
鞄を肩からぶら下げて歩く。
教科書の入った鞄の重みがずっしりと肩に掛かった。

「連絡します。加藤先生、加藤先生。お電話が掛かっております。至急職員室までお戻りください。繰り返します――」

スピーカーから聞こえてくる声。
アナウンスに掻き消されていた声が再び聞こえ始めた。
階段を上り、学校の最上階へと向かう。
そこまで行くと、グラウンドから聞こえてくる声は小さくなって、変わりに静かな音色が聞こえてきた。

「やっぱりもう始まってたか……」

あと少しの距離を早足で歩く。
一歩歩く度にそれに比例して音色が大きくなってきた。
階段を上がって四つ目の教室。
地上を俯瞰しながらドアの前まで来た。
ドアをスライドさせると途端に音色が止んだ。

「遅かったね。何してたの?」
「悪い。言い訳はしないから。言い訳する立場じゃないし」
「ううん。理由によっては許してあげるよ。言い訳は?」
「神谷と話してた」
「それは却下だね」

呆れた顔。
でも、どこか嬉しそうだった。

「それにしても、相変わらず沙凪一人なんだな」
「そんなこと言っても、みんな帰っちゃったんだからしょうがないでしょう?」
「まぁ、今日はクラブ休みなんだし、当たり前だろ」

藤鳥ふじとり沙凪さな
神谷と同じで小学校からの知り合いである。
俺と神谷、沙凪の家は比較的近い位置にあり、昔から日が暮れるまでよく遊んだ。
その腐れ縁が今まで続いている。
何かと世話を焼きたがる性格の持ち主でもある。
その性格のおかげで、母さんが二人いるような感じがして、子供の頃はよく喧嘩をしたものだ。
今となって思い返してみると、俺が一方的に悪い事をしていた。
まぁ、あの頃は幼かったんだししょうがないだろう。

「でも、休みなのに練習なんてご苦労だな」

さっきまで音色を奏でていたフルートが沙凪の手に握られている。

「うん。次のコンクールで発表する曲の練習しないとね」
「そうは言っても、わざわざクラブ休みの時にまでしなくていいだろう?」
「触ってないと、不安なのよ」
「それは解かったけど、何で俺までそれに付き合わされなくちゃいけないんだよ……」
「先週の当番サボって帰ったのはどこの誰だっけ?」
「う……」

それを言われては俺に反論する権利はなくなってしまう。
まぁ、これぐらいの事で許してもらえるのなら安いものだ。
今日は沙凪に付き合う事にする。
一応俺も、吹奏楽の幽霊部員なんだし。

「それで、俺は何すればいいんだ?」
「この曲弾いて」
「んー、了解」

手渡された楽譜は昔よく弾いた曲だった。
なぜか昔から俺はピアノが得意だった。
小学、中学と週二回ピアノを習っていたのだが、高校に入って辞めてしまった。
しかし、簡単な曲の楽譜を見て弾くぐらいなら今のレベルでも十分に可能だった。
漆黒に彩られたピアノに触れる。
普段から使われているせいか、細かい傷が少なくなかった。
とりあえず、勘を取り戻すために軽い曲を弾く。
横で沙凪が驚いた顔で俺を見ていた。

「なんだよ」
「え……宮人ってすごいなぁと思って」
「たいした事してないって。誰だって自分のできない事をすらすらってこなすやつを見たらすごいって思うだろ? それより、もうそろそろ準備できたぞ」
「あ、うん。じゃあ、よろしくね」

二人の会話が止まった。
聞こえるのは蝉の鳴き声と、微かに聞こえるグラウンドからの声だけ。
心地よい風の通り過ぎる教室の中。
俺は沙凪の合図でピアノを弾き始めた。
フルートの軽やかな音色がピアノの音色と交じり合って美しい旋律を奏でていた。
どれぐらいそうしていただろうか。
長い曲だったので終わった時はかなり時間が経過しているように感じた。
だが、実際は二十分ほどしか経っていなくて、四時をちょっと回ったところだった。

「どうだった?」

ボーっとしていると唐突に沙凪が俺に問いかけてきた。
一瞬、何を言われたか理解できなくて、すぐには返答できなかった。

「あ……うん、いいんじゃないか? ちゃんと聞こえてたし、ミスもなかったろ? でも、俺に訊くのは間違いだ。どれがうまくてうまくないかなんて正直あまり解からないからな」
「そんな難しく訊いてるんじゃないからいいよ」

沙凪は褒められた事が嬉しかったのか、笑顔を見せた。

「ちょっと休憩ね」

言い終わると窓際まで歩いていって傍にあった椅子に座った。
俺もその後ろからついていき、隣の椅子に腰掛ける。
音楽室から見える風景をじっと見つめる。
日は高く上がっていて、軽く見上げただけで眩しさのあまり眼を閉じてしまう。
空の中を身を翻して飛ぶ鳥の影だろうか、地面を走った。
日差しは強かったが、風はあったのでこうして窓辺に座っているとそれほど暑くはなかった。
その風が沙凪の肩まである黒い髪をさらさらと靡かせる。
沙凪も、俺もいつまでも子供じゃなかった。
だから、今ふっと、腐れ縁とか友達とかそういうのを忘れて、綺麗だと感じた。


遠くのアスファルトが陽炎で歪む。
日は傾き始めたが、空の青は衰えることなく広がっている。
だが、歩いていると日差しが諸に俺を焦がした。
身体中から汗が吹き出してカッターシャツに染み込んだ。
おかげで、帰宅するまで気持ちの悪い服装でいなければならない。
この服装から早く開放されたかったので、早足で通学路を歩く。
もともと驚くほど遠い距離でもなかったし、不快に感じた頃にはもう学校を出て数分経っていたので、すぐに家の屋根が見えた。
この強い日差しの中、野球帽を被って無邪気に走り回る子供を横目に、玄関の鍵を開けた。
一目散に自分の部屋に入って鬱陶しいカッターシャツを脱ぎ捨て、普段着を着る。
不快感から解消されると、今度は喉の渇きの方が気になった。
脱いだカッターシャツを洗濯機に放り込んで、台所へ向かう。
しんと静まり返った台所で冷蔵庫を開ける音だけがやけに大きく感じた。
心地よい冷気が漏れる冷蔵庫から冷え切った麦茶を取り出してコップに注ぐ。
冷蔵庫の中の物が温まってはいけないので、急いで閉めるとさっきまで開けていた時に漏れた冷気が辺りに漂っていた。
一気に麦茶を飲み干すと、リビングにいってソファーに腰掛けた。
ふかふかのソファーは俺を跳ね返した。
深く腰掛けると、テレビを付けて、昨日まで読んでいた雑誌を読み始めた。
テレビから聞こえてくる音だけが、この部屋にある音の全てだった。


「……ただいま」

玄関の方から声が聞こえた。
雑誌に落とした目を離さないまま、おかえりと声を掛ける。

「あら、宮人。こんなところにいたんだ?」
「俺の家はここ。だから、俺がどこにいても不思議じゃない」
「そう言えば、そうね」
「そう言えばって……母さんこそ、今日はいつもより早いじゃない?」

ああ、と小さく呟いて手に持っているスーパーの袋を持ち上げた。

「これこれ。今日、いつものスーパーで特売してたの。これを逃したらいつ行くんだーっていう感じで行ってきちゃった」
「行ってきちゃったって……会社は?」

母さんは大袈裟に手を振って否定すると、笑いながらあり得ない事を言う。

「大丈夫大丈夫。子供が病気だって言ったらすぐに帰してくれたわ。やっぱり、未亡人っていろいろ得だわ」

全くこの人は……そんな適当なものでいいのだろうか?
まぁ、もうすでに帰ってきている訳だし、今から行けなんて事も言えるはずない。

「じゃあ、母さん夕食の準備するから用があったら言ってね」
「了解」

そのまま母さんはリビングを後にした。
しばらくすると、夕食を作っている音と鼻歌が聞こえてきた。
俺の家庭には母親しかいない。
名前は宮子と言って、俺の宮人という名前は宮子の宮から来たものである。
一家の大黒柱である父さんは小さい頃に死んでしまったらしく、今日に至るまで女手一つでここまで育ててくれた。
そのせいで父さんの記憶は全くない。
俺の記憶に残っているのは母さんしかいないのだ。
母さんは大雑把な性格で母親という雰囲気ではないのだが、母さんなりに大らかに育てて今の俺がある。
母親というより年上の姉という感じだが、蟠りもなく毎日を過ごしている。
母さんには本当によくしてもらっている。
しかし、今更そんな当たり前で恥ずかしい事を言えるはずもなく、俺の心の中に留めてある。
言うとしたら、母さんの葬式ぐらいかなと縁起でもない事を思う俺だった。


だいぶ経って、台所からカレーの匂いが漂ってきた。
おそらく、さっき言っていた特売で購入したものの数々だろう。
カレーが出た日から二、三日は同じメニューになってしまう。
それさえなければ、カレーをおいしく頂けるであろうに。
匂いがしたのを合図にして、俺は台所に向かった。

「カレーできたけど、どうする?」

案の上、カレーは出来ていて、あとは盛り付けるだけとなっていた。

「腹減ってるし、今食べるよ」

そう言って、いつものように食器棚から二人分の食器を出すと、机の上に並べた。
二人分なので簡単に並べる事が出来る。
それは一分と掛からなかった。
父さんがいない我が家ではいつの間にか協力して家事をする事が当たり前となっていた。
さすがに、毎日毎日御飯を作れるような技術もレパートリーもない俺は食器を並べるだけだが、洗濯物や掃除といったものは俺の仕事である。
綺麗に並べた食器の上にカレーが盛られる。
準備が全て終了すると、席に着いて手を合わせる。

「いただきます」

声を揃えて挨拶をする。
食べ始めるなりいきなり母さんがリモコンを手にして、チャンネルを回した。
どこも似たようなニュース番組ばかりだった。

「まだ、この時間はニュースばかりね……」

退屈そうに呟く。
しかし、時間はまだ六時を過ぎたばかりで視聴率を求めた娯楽番組が始まるのはもっと後の時間だった。
諦めが付かないのか、もう一周チャンネルを回す。
結果は同じで、どの局もニュース番組かどうでもいい番組しかやっていなかった。
だが、そこに違和感のある声が流れた。

「母さん、ちょっと待って――」

母さんの手を声で静止させる。

「ん、何? 見たいチャンネルでもあった?」
「あ、うん。八チャンネルにしてみて」

俺の言葉通り母さんはチャンネルを八に合わせた。

「身長は百七十センチぐらい。大柄で青のジーンズに青いティーシャツを着ていました。……それでは、次のニュースです」

そのニュースはもう終わってしまったが、行方不明者の情報を求めるテレビに、熊谷の顔が映っていた。

「行方不明?」

母さんが首を傾げる。

「とりあえず、ニュースやってるところに合わせて。どこでもいいから」

母さんは無言のままチャンネルを切り替える。
すると、一局だけちょうど今からニュースが始まる局があった。
資料を見ながら、ニュースキャスターが無表情でしゃべり始める。

「こんばんは、キャスターの大野です。それでは、まず、最初のニュースです。一週間前の午後九時頃、長野県某市の熊谷拓哉さん、十七歳が行方不明になりました。少し買い物をしてくると言って外に出たきり、行方が分からなくなりました。警察は付近を捜索中ですが、何も手掛かりと言えるものは見つかっておらず、何らかの事件に巻き込まれた可能性があるとして今日、公開捜査に乗り出しました。長野県警の……」
「ちょっと、これ、宮人の通ってる学校の子じゃないの?」
「そう。しかも、同じクラス。ここ数日ずっと休んでたんだ」

再びテレビに視線を戻す。

「身長は百七十センチだということです。今後も長野県警は人数を増やし、付近を捜索すると言うことです。では、次のニュースで――」

熊谷のニュースが終わると俺はチャンネルを替えた。

「まさか、この辺りで行方不明者が出るなんてね」
「んー、やっぱり事件とか?」
「どうかしらね……」

ニュース番組はいつものように原稿を読み終えると静かに幕を閉じた。
今度は打って変わって華やかに着飾った若い芸能人が司会をする番組が始まる。

「そういえば、最近行方不明のニュース多いわね」
「そうなの?」
「ええ。確か昨日も行方不明のニュースやってたし、二、三日前にも見たわね。その時は、おばあさんの孫だったかしら?」
「それも謎の行方不明?」
「確かそうだったわ。おばあさんが孫が消えたって泣いてる所が印象深かったから」

孫が消えた?

「みんなは――人が消える事ってあると思うか?」

一瞬、今朝の久保田の言葉が脳裏に浮かんだ。
俺の耳にはテレビの声が聞こえていた。
しかし、それは反対側の耳から抜けていくかのように、俺の頭の中には一瞬も残ってはいなかった。
声だけを聞きながら頭の中で熊谷のことを考えていたからだ。
どうしても今日の久保田の言葉が熊谷に重なってしまうのだ。

(……まさか、熊谷は消えたのか?)

そんな馬鹿な事ある訳ない。
人間が消えるなんて。
大体、消えるってどういう事なんだろう。
死ぬという感覚ではないような気がする。
しかし、かと言ってこの世に存在しているならば、消えたとは言えない。
つまり、それは生きていない。
でも、結局消えるという事は死ぬという事と同じだろう。
なぜって、この世から消えるんだから。


風呂を上がって涼んでいた。
全開にした窓からは頬を撫でる風が優しく吹き抜けていく。
昼間までの熱気はどこかに霧散してしまって、今ではすっかり心地よい風が吹いていた。
昼間活動していなかった虫たちも夜になって動き始めた。
風鈴の音色と虫たちの鳴き声が交じり合ってとても落ち着いた夜になっていた。
そんな心地よい夜のはずなのに、俺の頭は煮え切らない気持ちでいっぱいだった。
人が消えるという人知を超えた現象。
本来起こり得るはずのないそれは、本当にあるのかないのかも解からない。
ただ、今までそんな事が起こらなかっただけかもしれない。
ただ、今までそんな事が確認されていなかっただけかもしれない。

「何を考えているんだろう……」

俺はベッドに寝転がって天井を見つめた。
でも、人知を超えた事は確かにここにある。
俺が持っている以上、その事について否定する事はできない。
俺の持っている特異は午前零時きっかりに姿を現す。

(六二億四八四六万八三三〇)

頭に浮かぶ十桁の数字。
そう、これが俺のおかしなところ。
赤ん坊の頃は解からないが、覚えている限りでは俺は幼稚園に行く前からこの数字を見てきた。
それはちょうど午前零時に頭に浮かぶ。
寝ていようが、起きていようがそんなの関係ない。
一方的に数字を与えるだけ与えて消えてしまう。
他人に話したとしても俺だけにしか確認し得ない事なので誰も相手にしてくれない。
そして、俺自身も気にならなくなっていた。
この数字について考えるようになったのはある出来事が起こった後。
テレビや本、話などで得られた知識をきちんと理解できるように成長した頃、俺は初めてこれが何なのかと言う確信持った。
この何年もの間同じ事が起こっているのでもう違和感もなく、普段の出来事として捉える
この数字の正体は……。
答えなんてない。
だけど、俺は強くそう思う。
この数こそが、今、地球という世界に生きる人間全ての数――


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