MACHINE


「本当に辞めてしまうのか?」
「ええ」

俺は片瀬直輝。
企業で最高クラスの職に就いている。
だが、それも今日までだ。
俺は今日でこの会社を辞める。
すでに辞職願いは提出した。
そして、今、俺は社長じきじきに説得を受けている。

「でもな、これからどうする気だ。確かに君なら今の社会でもすぐに職を貰えるかとは思うが、うちみたいに給料が高いところはそうそうないぞ?」
「ええ、でも俺は自由にやりたいようにやります」

社長は大きな椅子に凭れかかって溜め息をいた。

「もう一度考え直してはくれないか? ほら、ある程度なら金もやる」
「すみません」
「今の時代、企業に何が重要だか解かるか?」
「情報…ですか」
「そうだ。知ってのとおりコンピュータゲノムネットワークシステムができてからというもの世界中の情報機関が急速に発展した。今や、地球の反対側にいても家のポットの湯を沸かすことだってできる。君はその第一人者だ。うちが拾わなければ、世界中の大企業が君を取るために争っていただろう」

実際にそうだった。
俺はなぜかコンピュータに関しては他人と比べほどにならない知識、技術を持っていた。
だが、昔は全くそんなことはなかった。
その辺にいるエリートで十分に間に合ったからだ。
しかし、コンピュータゲノムネットワークシステムが機能し始めてからどこの企業もこぞってコンピュータに関する人材を集めだした。
コンピュータゲノムネットワークシステム。
機械に特殊なマイクロチップを埋め込むことによってどこからでもアクセスすることが可能となる。
ポットから軍事戦闘機。
ありとあらゆる物に導入された。
そう情報合戦が始まったのだ。
ありとあらゆるものがリンクされているということは逆にいうとそのありとあらゆるものを見ることも可能だ。
例えば、個人情報などがそれにあたる。
それを商売とするもの達にとってそのような情報は鍵となる。
だが、簡単には進入できない。
ポット一つにしても何重にも防御プログラムが作動している。
そして、自らの物を動かすときはマイクロチップが指紋、網膜、肉声を読み取り初めて起動させることができるのだ。
そんな世界でアメリカが大成功を収める。
優秀な科学者によって他のものがついていけないのに技術はどんどん進歩した。
だから、必要なのだ。
情報を自らの身体のように動かせる人材が。
情報という生物の急速な進化についていける人材が。

「君は優秀だ。それはコンピュータの技術もそうだが、人間としても信頼できる」
「ありがとうございます」
「妹さんもいるそうじゃないか。もし、君に万が一のことがあれば妹さんはどうやって暮らしていく? 君が今辞めてしまえば、蓄えは減っていくのは目に見えている。兄弟二人で路頭に迷う気か?」
「お気遣いありがとうございます。しかし、私は自分の意志ですでに辞めると決断しました」
「どうしてもなのか?」
「はい。申し訳ありません」

もう一度大きな溜め息を吐くと受話器をとった。

「私だ。片瀬君がお帰りだ」

簡潔にそれだけ言うと受話器を置いた。
すぐにドアをノックする音が聞こえる。

「入れ」
「失礼します」

社長の秘書が現れた。
眼鏡を掛けていて、手には大量の紙を挟んだバインダーを持っていた。

「お呼びでしょうか?」
「丁重にご案内しろ」
「はい、畏まりました」

俺は秘書の後についた。

「どうぞ、こちらへ」

ゆっくりと静かな動作で一歩一歩進んでいく。
まるで機械のように整った動きだった。
秘書がドアノブに手をかけると社長が椅子を鳴らした。
ギシッと言う音に思わず足を止める。

「片瀬君、君には失望した。もう少し、話の解かる男だと思っていたよ」

その言葉を無視してドアを抜けた。
すぐ目の前にあるエレベータに乗り込む。
二人を乗せた鉄の箱が下りていく。
階のランプが順番に点灯している。
外を見ると、街の明かりが目に入った。
そして、空には一際明るく輝く一つの物体。
CGNシステムに欠かすことのできない人工衛星タキオン。
雲のない夜には運がよければ肉眼で見ることが可能だ。
あれは、世界をより進歩させる天使がいるのと同時に、“情報”という名の悪魔も住み着いている気がしてならない。
表向きのことばかりに目を向けて本質的なものは全く解かっていない。
それがいつの日にか我々に牙を剥くとも解からない。
エレベータが一階に到着した。

「ありがとう。ここからは一人でいい」

秘書は無言のままお辞儀をして再びエレベータで上に向かった。


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