第八回 「その物語は誰が見てる?」

久方ぶりです。
さて今日は小説を書く際にとても重要なことを書こうかと思います。


ところで、あなたは毎日どのように過ごしているでしょうか?
朝起きて御飯を食べ、、学校、職場に行って、帰ってきて御飯を食べて寝る。
それが退屈であれ、楽しいものであれ、それを感じているのは自分であり、親でも兄弟、姉妹でもなければ友人でもありません。
あくまでそれをやっているのは自分であって誰かの生活を見ているわけではありません
なぜこんな話をしたかと言うと、小説は現実と違って視点を変えることができるからです。
つまり、その物語を誰が読者に語っているか、選ぶことができるということです。
小説でよく使われる視点は主に三つあります。
1、小説に出てくるキャラクターの視点
2、視点なし
3、神の視点
それでは、1から順番に見ていくことにしましょう。


1、小説に出てくるキャラクターの視点(内的焦点化)
名前を見て解かるとおり、これは登場人物の一人が体感していることを登場人物の感覚、考え方で語るというものです。
ノベルゲームをしたことのある人にとって一番身近なものだろうと思います。
だいたいはそれが主人公の視点となっています。
「私は〜をした」「私は〜を見てこう思った」といったような具合ですね。
このようにキャラクターの思っていることを、やっていることを文字にしたのが内的焦点化と呼ばれます。
中心は「私」なわけですから、私の考えている以外は解かりません。
相手が泣こうがすねていようが、こちらに心を読むという設定がないのならば、何もせずに相手の考えていることを感じることはできません。
つまり、これは我々と同じ世界の見方というわけです。

最後に例を挙げておきます。

ex)
耳障りな音。
がたがたと揺れる身体。
身体中が緊張して、とても疲れていた。
視界がはっきりしてくると、今の自分の状況を認識して溜め息を吐いた。
起動仕掛けで混線していた脳は、ようやく動き始め、愚痴のような言葉を吐いた。
「やっとか――」
とは言ったものの、時間的感覚はなかった。
何せ、出発したときは覚えていても、それからどれぐらい寝ていたのか、解からなかったからだ。
膝においてあるファイル。
どうやら、これを読んでいる間に眠ってしまったようだ。
相当疲れていたのか、このファイルの中身がなんなのかよく思い出せなかった。
青い色のプラスチックのファイルは、作りものの空の色をしていた。


2、視点なし(外的焦点化)
この形式は推理小説などに見られるものです。
まるであらかじめ用意されていた原稿を、ニュースキャスターが読むかのようにそこで起こっている出来事をたんたんと語るのです。
こちらはある意味なんでもできて、ある意味何もできません。
書いてあることを伝える能力しかありませんから、書いてあるものが全てになります
つまりこれは読者自身が幽霊となって、本の中で起こっている出来事を遠くから見ていることになります。
あなたは幽霊なわけですから、その世界に干渉することはできません。
ただ文字を読むだけ。
許されるのはその状況を見て、自分で考えることぐらいです。
そんな視点の変化がないものを外的焦点化といいます。

それでは、例を挙げましょう。

ex)
彼らが駆けつけた時にはすでにプレステの姿はなく、ただゲームのケースが転がっているだけだった。
全員が唖然としている中、金田二だけ部屋を散策し始めた。
鍵は確実に掛かっていた。
部屋にある窓の鍵も例外ではない。
なら、どうしてプレステは忽然と姿を消したのか。
密室窃盗が行われた部屋は何かに取り付かれたように静かだった。


3、神の視点(焦点化零)
うわ、あいつ、神とか言い出したよ、胡散臭ーとか言わずに読んで下さい(ぁ
怪しい宗教の勧誘はないのでー。
神の視点と言うのは、日本昔話のような書き方です。

最初に例をあげて見ましょう。

ex)
昔々、あるところに青年が住んでいました。
ある日、青年は山へ芝刈りに出かけました。
そこで青年は罠に掛かって動けなくなっている鶴を見つけました。
青年は罠をはずして、鶴を逃がしてやりました。
その夜、青年が御飯を食べていると、家の戸を叩くものがいます。
こんな時間に誰だと思った青年は用心しつつ戸を開けました。
そこには体操服に身を包んだかわいらしい少女が立っていました。
「道に迷ってしまい、今晩泊まるところがありません。どうか、一晩だけ泊めてください」
実は、昼間に助けた鶴が人になって恩返しに来たのです。
そんなことは知らない男はフラグが立った、と心の中でガッツポーズをして、喜んでその少女を泊めてやることにしました。
二人で楽しい食事を交わした後、少女は一部屋借りたいと言ってきました。
青年はその申し出を受け、部屋を貸してやりました。
「ありがとうございます。すみませんが、私がいいと言うまで決してこの戸は開けないでください」
そう言って、少女は部屋に入っていきました。
しばらくは我慢していた青年でしたが、ムラムラしてとうとう部屋の戸を開けてしまいました。
しかし、中の光景を見て男は驚きのあまり、尻餅をついてしまいました。
ちょうどその時、中で少女は着替えをしていました。
しかし、男が驚いたのはそこではありません。
真っ裸の女の子の身体に、あってはならないものが付いていました。
なんと女の子だと思っていた少女は、男の子だったのです。
その夜、禁断の官能の世界があったとか、なかったとか。
おしまいおしまい。


えーっと、自分で書いててあんまり関係がないような気がしてきました。
多分、私の書いたのが関係ないのであって、普通の昔話はちゃんとなっていると思います。
神の視点と言うのは、なんでもありの形式です。
神と言うのは全知全能なわけですから、物語の行く末は知っていますし、人の心だって簡単に読めてしまいます。
例の「実は、この少女昼間に助けた鶴が人になって恩返しに来たのです」という描写は男は知りません。
神だからこそ、知っている事実なのです。
このように必要があればなんでも暴露しちゃう的な書き方を焦点化零と言います。
焦点化しないということですね。
どこまで暴露しちゃうのか、それは書く人の力の見せ所であります。
やりすぎると面白くありませんし、やらなくてはこの方法をとった意味がありませんからね。

さて、三つともご理解いただけたでしょうか。
どの方法にも一長一短、いいところもあれば悪いところもあります。
自分にとって一番書きやすい方法でチャレンジしてみましょう。
それでは、あでゅー。

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